10月15日 ガンガーのほとりで その弐
と、いう感じで河でぷらぷらしていたてんちょ達なんですが、有名なガートの側を離れると客引きは少なくなり、代わりに仲良く遊ぶ子供達が目に付くきます。
インド人でしかも子供とくれば、もう好奇心の固まりみたいなもんである。
はにかみ屋さんは小さ目の声で「はろ〜・・・」と言って笑いかけてくるくらいなんだけど、集団になったりすると取り囲まれてもう大変。
モノをせびってくるんですな。人気があるのはシャンプー、ボールペン、ノート、バンソウコウなど。
あともちろん現金。ちゃんと哀れっぽい風を作って「髪を洗いたいの」とか「勉強したいけどペンが無いの」などと言いながら手を差し出してくる。
(丸っきり嘘では無いであろう事がちょっと切ない)
中にはこちらの鞄を探ろうとする乱暴者や、血がにじんだ古いバンソウコウを怪我してない所に貼ってせびる子もいる。
子供には甘くなる。現金以外なら・・・ってなかんジでボールペンとバンソウコウは結構配ってしまった。
でもこっちもタダでは渡さない。その前にじらして、遊んでもらうんである。モノを渡して、もうコレ以上もらえない事が分かると皆さっさと行ってしまうからね。
お腹ん中にたくらみを持っているとはいえ子供は子供、可愛いモンです。インド人は美形揃いだからなおさらである。
ちょうどこの頃日本では慎吾ママがはやってたので、『おっは〜!』を教えようと思ったてんちょ&友人。
するとなんと、皆知っているではないかぁ〜!誰かに先を越されたのは悔しかった。考えることはみんな同じか、くそっ。
はい、チ〜ズ。右端がパイサの子。
子供の群れも来ない、野良犬しかいないような場所で再びほうけていると、一人の男の子がやってきた。
10歳だという彼は、もの欲しさを感じさせない調子で話し掛けてきた。歳が歳だけに英語は達者ではなくて(ウチ等と同じくらい?)
会話はあまりしっかりできなかったけど、ガイドブックに載っているヒンディーの単語を言うと、とても嬉しそうに簡単なヒンディーを教えてくれた。
そうやってしばらく遊んだ後、ボートに乗らないかという。しかも彼自身が漕いで向こう岸に連れていってくれるというではないか。
こんな小さくて華奢な男の子が!?
おねェちゃん達は重いから遠慮するよ〜・・・というのに、彼はボートを取りに走っていった。こうなったら乗るしかないじゃないか。
20Rsということを確認した上で、乗りこむ。案の定、かなりしんどそうだ。小さな身体全体を使って、渾身の力を込めて漕ぐ。
それでも速度はゆっくりだし、進路が曲がったりする。なんだか残酷な事をしてる気分になって「大丈夫かい?代わろうか?」と言ってしまう。
彼は顔を歪めながらも強く否定する。子供とはいえ、これで家族の為収入を得ているという彼なりのプライドを感じて、それ以上は何も言わなかった。
ただ、応援した。
ようやく向こう岸にたどり着く。さすがにホッとした表情をしていた。でもすぐに疲れを知らぬようにはしゃぎ始める様子に、若さを感じるオババ2人。
ガンガーの左岸は不浄の地とされていて、何もない。どことなく陰気な感じの砂浜が続いている。
彼は「写真を撮ってよ。」と走り回り、いろんなポーズを取ってみせる。なんてかわいいんだ〜!
さらにビニール袋を貸せと言われ、渡すと「お土産にしなよ」と砂を入れてくれた。
ガンガーの水を吸い込んだ砂なんて、病原菌のかたまりなんだけど〜。税関で捕まるぞ。
そして元の場所に帰る。岸に上がったとたん、可愛かった顔は険しい商売人の顔になっていた。
「ボート代と砂で200Rsだ。俺はしんどい思いしてがんばったんだ。」
こちらでは10歳ともなれば一家の立派な稼ぎ手なんだろうが、大人達のようにしたたかに笑顔を作って立ち振る舞えるほど擦れていない。
幼い彼の表情は必死で、痛々しいものを感じた。だけどねェ・・・。
「約束は約束」と最初の額の何倍かを払い、不満そうな彼を残して私達は去った。やはり楽しいだけではすまされない国だ。
ボート漕ぎの少年 ガンガーの対岸ではしゃぐ
暑さに耐えかねてホテルに戻り、コーラを飲んで一息。
ホテルの経営者は22歳のイギリスの血が混じった青年だ。商売から離れると年相応でかわいい彼とおしゃべりしているうちに、
商売の神様ガネーシャの名をもらった彼は友人Sを口説き始めた。
じゃ、後は若い人に任せようと思ったてんちょ、和英辞典と旅の英会話の本と不安そうなSを残して一人で河へ。この後の展開やいかに。
そろそろ夕方になってきた。火葬場の近くで子供達が野球のような遊びをしている。その傍らでお喋りする大人達。
例のごとく、女性の姿はない。この国の女性は何処で何をしているのだろうか。
死体を焼く煙が昇る横で、子供達は喚声を上げてゲームをしている。年齢はばらばららしい。
年長の子達は結構マジだが、年少の子がヘボい球を打っても文句なんか言わない。
大人達はなんとなくそれを見ながら関係ない(多分)事を話しているが、熱くなりすぎた子供が喧嘩しそうになるとコラコラとなだめたり、
危ないことをやろうとしてる子が居れば、何処の子だとか関係なく注意してやったりしている。
それら全てを見守って、包み込んで流れていく茶色い大河。初めて見るとても不思議なこの光景が、なぜか懐かしかった。
や、懐かしかったのは空気かもしれない。こんな穏やかな時が確かに自分が子供の頃にもあったと思う。(火葬場はなかったが
今夜この街を後にするという事も忘れて景色に溶けこんで(ると思ってただけかもしれんけど)いると、
「探したよ〜・・・」と言って迷子の子供のような様子で友人Sが来た。まぁ何やら色々事件があったようだが、他人のプライベートなんで省略。
ホテルの屋上からの夕焼け。
デリー行きの夜行列車の時刻は午後11時くらいだったが、真っ暗になってからじゃ不安なので18時くらいに駅へ向かうことに。
駅までは乗合バスで1時間ほどだ。バス乗り場周辺にはやはりリクシャやタクシーがわらわら。しつこいサイクルリクシャが一人いて
「ムガル・サラ−イ駅やからかなり遠いよ。サイクルじゃ無理やって。」と言っても「大丈夫じゃ!」となかなか引き下がらんかった。
もしOKして乗ったら、どうなってたんだろう。インド人の気質を考えると一晩かけてでも最後まで行きそうな気がする・・・。
これでバスで1時間の距離を行くってんだから
例に漏れず乗車率130%のバスが駅に着く頃には、外はすっかり深い闇に包まれていた。
駅の少し前にバスを下ろされてしまい、どっちへ行けばいいのか・・・と思ってると同じバスから降りたおじさんが
「わしも駅にいくから付いて来なさい。」と言ってくれた。見た目イギリス人の血が色濃く出た彼の英語はインド人にしてもひどいものだったが、
列車が来るホームにまで案内してくれた。
更に、そのホームに着いてさらにたむろってたおやじ衆に確認してくれる。どうやら間違いないらしい。
おやじ衆は口々に
「ええな、マハガンディ・エクスプレスやで。あんたら間違ったらあかんで。マハガンディ・エクスプレスやからな。このホームから乗るんやで。」
取り囲まれて一斉に、何度も諭されてしまった。ちょっと怖い・・・。
でもそんなおやじ達に向かって「分かった。ホンマにありがとう。」と満面の笑みで手を振ると、
一瞬の間をおいて彼等はデレ〜っと笑いながら控えめに手を振ってくれた。ちょっとアイドル気分(笑)。
黙ってると怖い顔のインドおやじ達のテレ笑いは、本当〜にかわいかったです。
コンパートメントの中。2段ベッドです。
限界近くなった疲労と眠気をごまかすべく2人が懐メロ大会をしていると、ようやく列車が来た。
ちょうど2時間遅れくらいなので、時計は午前1時になろうとしていた。力を振り絞って自分達の車両に向かって走る。
今宵は冷房付きのコンパートメントで優雅に過ごせるはず。車内は予想以上にきれいで心地良かった。
ほっとした私達はもはやしゃべる元気も余りなく、早々にベッドにもぐりこんだのであった。
つづく